へレスの親友ラウラから 「そろそろヘレスのペーニャで踊ったら?」 と強く薦めてもらったのがきっかけです。 年2回は渡西し 常に精進する努力を怠らない私を見続けていたラウラが 愛の手を差し伸べてくれました。
アルテ(芸)を磨くにはペーニャが一番。 スタジオでいくら練習してもだめよ。」
いつも真剣に考えてくれます。 こういう親友は、宝だと思います。 「踊る気になったらいつでも言って。すぐ手配するから。」
「本場スペインにいって叩かれてこい!」 とおしりをたたかれました。 身内は厳しいですね。 私が何を考えているかもお見通しです。
批判されることが怖かったのです。 叩かれる覚悟がないのです。 友達から、ペーニャで最初に踊ったとき 酷評されてつらかった話を聞かされていましたから。
それに仕事をしたことのあるスペイン人アーティスト数人に 相談にのってもらいました。 「外人がペーニャで踊れるチャンスなんて滅多にないんだから それは是非踊るべきだ!」 意外にも、ペーニャで踊ることを喜んでくれて 強く勧めてくれました。 スペインで踊るなんてまだまだ早いといわれると思っていましたから 勇気をもらいました。 私は少しでも本場スペインのフラメンコに近づきたいです。 それには、本場スペインの舞台に立ち いいアーティストと共演することです。
ただ、進む勇気を持つのに1年以上もかかりました。
ラウラに電話をしました。 「覚悟を決めたから、ペーニャで踊れるよう手配して。」 「やっとその気になったのねぇ!!!!!」 こんないい親友を持てて、私は幸せ者だと思います。 小さなペーニャでカンタオール(歌い手)でもあるラウラと 小さなライブをするような感じで話が進んでいました。
「Mariの将来を考えたら、ダビにはいってもらって ちゃんとしたほうがいいよ。」 と、彼女は従兄弟のダビ・ラゴスに 電話をして頼んでくれました。
日本はもちろんのこと、世界中を飛び回るすごい人です。 スペイン人は親族の結束がとても強く 従姉妹のラウラに頼まれたダビは 私がペーニャで踊れるように動いてくれました。
ラウラが相当しつこく電話して頼んでくれたようです。 ラウラには本当に感謝です。 ヘレスには年2回行きますが、滞在中、 「Mariをペーニャにデビューさせるためのミーティング」を 何度かしてもらいました。 芸名をどうしたらいいか どんなライブに出演させるべきか 宣伝をどうするか・・・。 たくさんの人が、真剣に私のことを考えてくれて もうそれだけで胸が一杯でした。
昨年2006年5月のヘレス滞在中
私に不幸が訪れました。
とてもつらかったのですが それよりペーニャに出演できないかもしれないことが 大きなショックでした。
ベストコンディションで踊ることは不可能です。 悪い状態で踊っていいことなんてありません。 ましてや本場スペインではじめて踊るのに 練習も十分にできない状況で踊って 将来につながるとはとても思えませんでした。
幸いまだ出演する日がきちんと決まっていなかったこともあり 延期してもらいました。
冷や冷やしました。
誤解されては信用がなくなるので 昨年10月に渡西し ペーニャに行って もうどきどきしました。 2007.6.4 Mari
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INDEX 1、陰で支えてくれた親友 2、出演が決まって渡西 3、記者会見とインタビュー 4、 本番当日を迎えて 5、ヘレスでスタンディング・オベーション 6、本番が終わって |
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