1.陰で支えてくれた親友

スペインのペーニャ出演の話は、約3年前、つまり2005年からありました。

へレスの親友ラウラから

「そろそろヘレスのペーニャで踊ったら?」

と強く薦めてもらったのがきっかけです。

年2回は渡西し

常に精進する努力を怠らない私を見続けていたラウラが

愛の手を差し伸べてくれました。


「そんな自信はないよ。無理。」


弱気な私に彼女はこういいました。


「自信をつけるために踊るのよ。

アルテ(芸)を磨くにはペーニャが一番。

スタジオでいくら練習してもだめよ。」


彼女は私が上達するにはどうしたらいいか

いつも真剣に考えてくれます。

こういう親友は、宝だと思います。

「踊る気になったらいつでも言って。すぐ手配するから。」


これだけ言ってもらっても、まだ悩みました。


私なんかが本場スペインで踊っていいんだろうか・・・。


この悩みを旦那にいったところ、

「本場スペインにいって叩かれてこい!」

とおしりをたたかれました。

身内は厳しいですね。

私が何を考えているかもお見通しです。


私は踊りに自信がないというより

批判されることが怖かったのです。

叩かれる覚悟がないのです。

友達から、ペーニャで最初に踊ったとき

酷評されてつらかった話を聞かされていましたから。


私は師であるロサリオとフェルナンド

それに仕事をしたことのあるスペイン人アーティスト数人に

相談にのってもらいました。

「外人がペーニャで踊れるチャンスなんて滅多にないんだから

それは是非踊るべきだ!」

意外にも、ペーニャで踊ることを喜んでくれて

強く勧めてくれました。

スペインで踊るなんてまだまだ早いといわれると思っていましたから

勇気をもらいました。

フラメンコはスペインが本場です。

私は少しでも本場スペインのフラメンコに近づきたいです。

それには、本場スペインの舞台に立ち

いいアーティストと共演することです。


私の選ぶべき道は見えていました。

ただ、進む勇気を持つのに1年以上もかかりました。


覚悟を決めたら、即行動です。

ラウラに電話をしました。

「覚悟を決めたから、ペーニャで踊れるよう手配して。」

「やっとその気になったのねぇ!!!!!」

こんないい親友を持てて、私は幸せ者だと思います。



私の親友ラウラとペドロ

私がペーニャ出演の決意をした当初は

小さなペーニャでカンタオール(歌い手)でもあるラウラと

小さなライブをするような感じで話が進んでいました。


それがいつからか

「Mariの将来を考えたら、ダビにはいってもらって

ちゃんとしたほうがいいよ。」

と、彼女は従兄弟のダビ・ラゴスに

電話をして頼んでくれました。


ダビは、スペインを代表するカンタオールで

日本はもちろんのこと、世界中を飛び回るすごい人です。

スペイン人は親族の結束がとても強く

従姉妹のラウラに頼まれたダビは

私がペーニャで踊れるように動いてくれました。


後でダビから聞きましたが

ラウラが相当しつこく電話して頼んでくれたようです。

ラウラには本当に感謝です。

ヘレスには年2回行きますが、滞在中、

「Mariをペーニャにデビューさせるためのミーティング」を

何度かしてもらいました。

芸名をどうしたらいいか

どんなライブに出演させるべきか

宣伝をどうするか・・・。

たくさんの人が、真剣に私のことを考えてくれて

もうそれだけで胸が一杯でした。


昨年2006年5月のヘレス滞在中

10月に出演することがほぼ決定したといわれ


後は出演日と他出演者の連絡を待つだけでした。



多忙なダビのスケジュール調整を

している最中の7月、

私に不幸が訪れました。


踊りすぎて疲労骨折してしまったのです。


日本での仕事もキャンセルしなくてはいけなかったこと

とてもつらかったのですが

それよりペーニャに出演できないかもしれないことが

大きなショックでした。


無理をすれば踊れたかもしれませんが

ベストコンディションで踊ることは不可能です。

悪い状態で踊っていいことなんてありません。

ましてや本場スペインではじめて踊るのに

練習も十分にできない状況で踊って

将来につながるとはとても思えませんでした。


散々悩んだ結果

幸いまだ出演する日がきちんと決まっていなかったこともあり

延期してもらいました。


延期したらもう出演のチャンスはないかと

冷や冷やしました。


私のために、何人もの人が動いてくれていましたから


その人たちに申し訳ない気持ちで一杯でした。

誤解されては信用がなくなるので

昨年10月に渡西し

ペーニャに行って

キャンセルしたことを 詫びに行きました。

もうどきどきしました。


今思い返すと、このお詫びで彼らの対応が変わったように感じます。


わざわざヘレスまでお詫びの挨拶に行った誠意が

彼らの気持ちを動かしたんでしょう。


その場ですぐ

「次はいつへレスに来れるの?」

と聞かれ

5月のライブ出演が正式に決定したのです。


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2007.6.4 Mari

 
  INDEX

1、陰で支えてくれた親友 2、出演が決まって渡西 3、記者会見とインタビュー

4、 本番当日を迎えて 5、ヘレスでスタンディング・オベーション  6、本番が終わって
 
 



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